武富士弘前支店強盗殺人放火事件

青森県の西部に位置する弘前(ひろさき)市。駅から少し離れた北大通りという大きな道路沿いに面した所に、1・2階がレンタルビデオ店、3階が当時消費者金融最大手であった武富士弘前支店が入ったテナントビルがあった。

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2001年5月8日火曜日午前10時49分。平日、午前の業務時間が半分以上過ぎた時間に3階の武富士弘前支店にある男が現れた。男はカウンタ越しに混合油を店内に撒いた上で「金を出さねば火をつける」と脅しをかけるが、要求は拒否され、110番通報される。そのことに腹を立てた男は撒いた混合油に放火。そのまま逃亡した。

武富士弘前支店強盗殺人・放火事件の発生経緯である。この事件では3階建ての3階で強盗放火殺人が起きたこと、建物の構造上小さな窓しか無いという造りであったこと等があり支店社員の5名が死亡、4名が重傷を負う大事件になった。

緊急配備等の初動の遅れなどもあり男を逮捕することはできず、捜査本部による捜査が始まる。その後、事件発生の翌年、2002年3月4日に男を強盗殺人・現住建造物等放火容疑で逮捕した。


事件が起きてから、犯人のモンタージュ写真が作成された。武富士では全国で店舗広告のために配布していたポケットティッシュに犯人の似顔絵を掲載して配布。広く犯人に関する情報を集めた。

下記はその際に配布されたポケットティッシュである。発生当初、武富士の広告が一切無いポケットティッシュである。紙面の半分を犯人の似顔絵が占め、掲載されている電話番号は弘前警察署の電話番号のみが掲載されている。

その後ほぼ一緒だが、店舗名と店舗電話番号のみ記載されたポケットティッシュが配布されるようになる。青森県で発生した事件の協力を東京都の御徒町でも配布していたのだ。

カラーのポケットティッシュラベルでも犯人の似顔絵を掲載していた。これも神奈川県の川崎で配布されたポケットティッシュだ。武富士の犯人逮捕に対する気持ちが伝わってくる。


事件のその後だが、強盗殺人・現住建造物等放火容疑で逮捕された男は、自ら撒いたガソリンに実際に火をつけ支店社員を死亡させていることから未必の殺意が認定され、控訴をしたものの2003年2月12日に死刑判決。控訴などを経て2007年4月12日に死刑確定。その7年後、2014年8月29日に宮城刑務所にて執行された。

事件後、武富士は弘前支店は再開されること無く閉鎖し、弘前市西茂森にある長勝寺に慰霊碑・供養塔を建立した。当時の建物は事件のあった2001年に取り壊され更地になっている。

なお、犯人逮捕の決め手は配布されたポケットティッシュでは無く、犯人が撒いた混合油に火をつける際に使用した新聞紙(東奥日報)の印刷から犯人の所在地を絞り込んで逮捕に至ったという。ポケットティッシュの情報が犯人逮捕に寄与したわけでは無いようだが、この事件に対する影響度は大きいと考える。

刑事事件とポケットティッシュが大きく深く関わった事例として、ここに記載したいと思う。