テレクラことテレフォンクラブという出会い系コミュニケーションがあったのだ。不特定な男性と女性を電話でつなぐという、ポケベルも携帯電話もインターネットも一般になかったことのお話し。昭和60年(1985年)ごろには新宿・渋谷周辺には100店舗あったといわれている。
テレクラ大手の「リンリンハウス」のラベル(上記)を見ても、渋谷駅の周辺に3店舗も存在している。ドミナント戦略の鏑矢的存在と言っても過言ではない……いや過言でした。にしても渋谷の道玄坂や新宿の歌舞伎町を歩いていると必ずと言って良いほど、赤と黄色の看板が否応なしに目に飛び込んできて、「1時間はっぴゃく円!!」というリンリンハウスのCMソングが耳に入ってきたことを覚えている。
渋谷・新宿に店舗が多かったが、それ以外の駅前にもテレクラの看板は必ずあった。リンリンハウスは上野駅・日暮里そして竹の塚駅前にも店舗を広げていた。もちろん、リンリンハウスだけがテレクラではない。地方のテレクラも存在していた。駅前ではなく国道沿いに駐車場完備のテレクラなんかも多かった。
広告も幅広くポケットティッシュでの集客の他、レディースコミックなどに広告が多く出稿されていた。ただ、上のラベルみたいに「新聞・雑誌でおなじみの」ってほどテレクラ広告を見たことはない。少なくとも日本経済新聞とか週刊文春とかではない、絶対にない。
そんなテレクラだが、売春や援助交際の温床となり、いろいろな自治体が条例で規制をはじめ、またインターネットの普及や2002年の風俗営業法改正で「性風俗関連特殊営業内の店舗型電話異性紹介営業」という位置付けになり規制が強化され、多くのテレクラが廃業になったという。
それでも、全て廃業したわけではなく各地に残っているとのこと。
できることなら、現存しているテレクラのポケットティッシュを集めて回りたい。