サラリーマン金融とポケットティッシュ

サラリーマン金融という言葉に聞きなじみがない人でも「サラ金」なら聞いたことがあるという人も多いと思う。個人向けに金融機関が融資する業者を意味する。1970年代、日本経済が高度成長期に入って終わりを迎えるころ、サラリーマンを対象とした業者が多かったことからサラリーマン金融の略語として「サラ金」という言葉が生まれた。

その後、1980年代ごろからはサラリーマンだけでなくOLや主婦、自営業者などの利用者も増え「消費者金融」という名称が使われるようになってきたという。その背景には高金利や過剰融資、過酷な取り立てなどが原因で「サラ金地獄」という言葉が生まれるようになり、業界が「消費者金融」という言葉の使用を強く進めたという経緯もあるようだ。
サラリーマン金融の前、1960年代は「団地金融」等とも呼ばれ、団地住まいが多かったという時代背景を如実に示している。

そんなサラリーマン金融(消費者金融)といえばポケットティッシュ広告であろう。1990年後半から2010年前半にサラリーマンだった方は、通勤の駅前などで手渡された記憶があるかたも多いだろう。大手消費者金融各社は駅前で道行く通勤客にポケットティッシュを手渡していた。

中でも当時最大手であった「武富士」のポケットティッシュは、一つ頭を抜けた個数が全国各地で配られていたという。配布数のピーク時は2000年代前半頃、一説のよるとその数、年間2億5000万。日本で製造された数の8%が武富士のポケットティッシュだったとのこと。1日1個使い切っても685,000年かかる計算。まあ、よくわからない膨大な数が全国で配られていた。
その後、消費者金融会社は2006年1月のシティズ判決によるグレーゾーン金利撤廃の世情により、廃業や大手銀行の子会社となったりと大きく変わっていくことになる……。

以下は、各消費者金融のポケットティッシュラベルと現在を羅列する。


武富士

1966年01月に創業者「武井保雄」が前身である富士商事を興す。団地金融から消費者金融業界のトップとなるが2000年代後半過払い請求の増加などにより業績悪化。
2010年09月会社更生法の適用を申請受理され、韓国の消費者金融A&Pフィナンシャル社が買収することを発表されたが資金未調達のため実現せず。
2011年12月にJトラスト株式会社とスポンサー契約を締結、株式会社日本保証に事業を承継させた。
2017年03月に清算され法人格が消滅した。

アイフル

1967年4月に「福田吉孝」が個人経営として消費者金融業を創業。
1982年5月株式会社丸高が関連会社3社を吸収合併し、アイフル株式会社に商号を変える。
メガバンクを親会社に持たない独立系消費者金融会社として事業を継続している。

プロミス

1962年3月に神内良一が関西金融株式会社を設立。同年4月消費者金融業を開始。1978年12月にプロミス株式会社に商号変更する。
1985年4月本店を東京都千代田区に移転後、2004年6月三井住友フィナンシャル・グループ戦略的提携を結ぶ。
2007年3月通期の予想も1541億円の最終赤字となる。2011年9月から三井住友銀行が株式公開買付けをし、三井住友フィナンシャルグループがプロミスを完全子会社化。
2012年3月上場廃止、7月に社名を「SMBCコンシューマーファイナンス株式会社」に変更したが「プロミス」のブランド名は継続して使用している。

アコム

1936年4月に「木下政雄」が創業した丸糸呉服店が前身。
1947年ごろから質屋も始め、1978年にアコムを設立。
2008年9月に過払い金請求などに伴う財務基盤悪化の抑制ため、三菱UFJフィナンシャル・グループが株式公開買い付けを実施。
2008年10月に連結子会社化となり、三菱UFJフィナンシャル・グループの消費者金融事業者となる。

三和ファイナンス

1972年創業。2006年には日本国内に400以上の支店を保有していた。
2008年09月に過払金返還請求権を請求債権として破産を申し立てられる。
2008年10月にかざかファイナンスへ売却、商号を株式会社SFコーポレーションに変更。
2011年08月に破産手続開始決定を受け倒産。
2017年05月に破産手続結了決定を受け法人格が消滅した。

ローンズワールド

1951年に設立された株式会社斉藤商店が前身。
1966年ごろの金融業をはじめ、1976年7月ごろから「ローンズワールド」の商標を使い、5店舗にて消費者金融を開始した。
1978年株式会社ワールドフアイナンスに商号を変更。東京都心から神奈川・千葉・埼玉を中心に、1979年50店舗、1981年に100店舗、1982年末には200店舗。そして1983年時点で300店舗に達し急成長を遂げたが、1985年になると60店舗に削減された。1993年には44店舗とさらに減り、その後2011年に廃業した。

ラベルにも描かれているビル屋上や壁面・高速道路近くに設置された、有名な赤地に白抜き文字の「ローンズワールド」の看板は1978年ごろから設置し始め、1988年から1989年にかけて「ローンズワールド」から「ローンズ」部分を除去し「ワールド」のみを残した看板に変えたことから、大手アパレルメーカーである株式会社ワールドから「ワールド」広告看板の使用差し止めを含む提訴を受け一部敗訴、広告看板に小さく「ファイナンス」の文字を加えた。

各社悲喜交々、消滅した会社、銀行に回収された会社それぞれの道に分かれている。その分岐点が2006年1月のシティズ判決であったと思うと、借りた側の債務者だけでなく貸した側の経営者・従業員を運命の大きな大きな渦に巻き込んでいった重要な判決だったと、改めて感じる。